実家に帰還しました。
原発から100キロ圏内なのでまだ心配ですが、とりあえず戻ってまいりました。
家は元々テナントも入るように作られた家なので、倒壊は免れました。
ただ給湯器の水道管が破壊されたので、水道を一通り修理しないとお湯がでません。
なので当分、お風呂は外部に借りに行くと思われます。
震災時、僕は自宅の3階にいて、そろそろ仕事に行こうとしていました。
そこで地震。最初は大きい地震だなぁ~、程度の認識でしたが、数秒も待たずに激しい揺れに変わり、部屋中の物が落ちてきました。
僕は家の仔犬を抱えて逃げ出そうとしましたが、犬もパニックを起こしてなかなか捕まらず、なんとか捕まえた後、玄関の外に出たもの、そこでまた犬が胸から飛び出してしまいました。
僕は裸足で犬を追いかけ、屋上へと向かいました。階段はプリンの様にうねり、そこをなんとか走っていきました。ウチの仔犬は屋上の片隅でパニックを起こし、本気で噛み付かんばかりに歯をむき出しにしていました。
なんとか犬を捕まえて、立ち上がって見たものは、周囲の建物の屋根が崩れていく様子でした。
バラバラと壊れていくのを見ていたとき、一瞬夢かと目を疑ってしまいました。
その後、上着を着てなんとか建物を脱出。
全然痛くなかったものの、気付けば足が血みどろでした。
電気水道ガスとライフラインを絶たれ、自分の携帯を紛失し、親の携帯バッテリーの残量が1メモリという状況だったので、ほぼ陸の孤島で情報が入ってきませんでした。
僕自身、この巨大地震は自分の地域を中心としたローカルな地震だとばっかり思いました。
住まいである3階から、空きテナントで何も無い二階にふとんを引いて、余震を感じながら寝た初日の夜は未だに覚えています。
水道が出ないため、トイレは家の前の電柱で用を足していました。
あの日の夜はよほど緊張したのか、トイレに5,6回行ったのを覚えています。
皮肉な事に、この日の夜ほど綺麗な星空は見たことありませんでした。
近視気味な僕は夜空を見ると星がぶれるんですが、その日はしっかりと星が見れました。
夜中中、余震は続きました。
うちは家業も手伝い、家に動物が多かったので避難所に行くこともせず、ずっと家にいました。
津波警報が鳴る中、周囲の家はほとんど無人だったと思います。
実際、ウチから沿岸まではかなり離れており、また沿岸部の地形状さほど大きな津波が来なかったのは幸いでした。ウチよりかなり遠いところまでしか津波は来なかった模様。
夜、どうにか東京の親戚に連絡を入れ、支援を約束してもらいました。
ですが、次の日も情報はまったく入らず。町内の人にあやふやな情報を貰うばかりでした。
普段高速で二時間の距離を、親戚は十二時間かけてやってきてくれたのが二日目の夜でした。
そこで教えられた情報が驚きで、東北では津波で街が飲み込まれ、場所によっては火の海。さらには原発が爆発し、長野でも震度6の地震が起きたと聞かされ、冷や汗が出ました。
当初は「3日で電気、7日で水道」などと気楽に考えてたからです。
3日目。
朝、久々に歯を磨く。コップ一杯の水をあんなに大事に使ったのは初めて。
親戚と共に入院している祖母の元へ。
そこに行く途中、ガソリンスタンドがやっていたり、スーパーがオープンしていたり、ドラッグストアに行列が出来ているのを見る。
親戚とうちの母で手分けして並び、物資を入手する事に。
僕はドラッグストアに並んだんですが、商品を手に入れるまでかなりかかりました。
店内の入り口はテーブルで仕切られ、客は店内に入ることが出来ない仕様になっていました。
ガラスから見える店内はまさにフォールアウト3。商品棚が崩れ、床に散乱し、天井も一部落ちていました。
買い物のおおまかな流れとしては
1、店員に商品を注文する。(10個まで。飲み物、乾電池などは個数制限)
2、店内を歩いている店員が、かごに注文の品を集めていく。
3、集まった商品を店員が手動で計算、領収書を書く。
4、商品が集まった客は呼び出され精算する。
まず1までに3時間かかります。
そんなこんなで物資を手に入れるだけで一日掛かってしまいました。
この頃、東京の親戚から貰ったラジオで、頻繁に原発よ余震の情報が入ってきましたが、音声だけなのでよくわかりませんでした。
色々もめましたが、とりあえずライフラインも無く、僕と母だけでは動物が多すぎてニッチもサッチもいかないという事で、動物共々一時的に東京に避難する事に。
東京に行く際、自販機が動いていたり、電灯がついているだけで衝撃を受けたのを覚えています。
んで、色々あって更に実家に戻ってきました。
日数は10日余りと僅かですが、個人的には2・3ヶ月くらい経っている感覚です。
当時はかなり悲観にくれましたが、テレビなどで見る限り、津波が直撃した被災者さんよりは遥かに軽微だったと思います。
ただ今後の経済状況やら、職の事やらを考えると、僕も東京に出稼ぎという形になるかもしれません。
震度6を浴びながら、こうやってPCもしっかり起動してくれましたし、テレビも割れずに映ってくれています。エアコンも室外機は倒れてましたが、立ち直らせたら普通に動いてくれました。
本棚やら食器棚などは倒壊したりガラス割れたりしましたが、幸いな事に電化製品は無事です。
今回、僕は様々な人の善意に助けられました。正直人生観が変わってしまいそうです。
とりあえず色々ありますが、明日部屋を片付けてから色々考えていこうと思います。
●コメント返信
・shingoさん
ありがとうございます。
実家は無事ですが、祖母の家は中身がかなりヤバイっぽいです。というか修復不可能……。
まぁ、あちらは無人だったのですが。
少しだけ落ち着きました。
・24さん
ありがとうございます。
小説のストックを作っている最中だっただけに、かなりペース落ちそうですが、とりあえず完結だけはさせるつもりです。
・mitakaさん
ありがとうございます。
実家なので、メッセにもボチボチ出てくると思うので、お話できれば幸いです。
・順Gさん
お久しぶりです。
ありがとうございます。
なんとか少し落ち着きました。
・杏孤さん
ありがとうございます。
本当に誰も欠けなくて良かったです。
・かなのこさん
今日、ツイッターのアカウントなども見つけました。
ネットで色々やって頂いたみたいで感謝です。
・まくらさん
お久しぶりです。
なんとか実家もライフラインは回復したんですが、原発が心配です。
微妙にニュースなどでも報道される地域なので、少し気をつけています。
・こけももさん
ありがとうございます。
実家に戻ったら、一気に冷え込みが増した気がします。
・老眼さん
色々ありがとうございます。
ここまで直撃するとは夢にも思いませんでした。
ただ、津波が来なかった事だけは幸いでした。
●web拍手
>無事が確認出来て安心しました。 popo
ありがとうございます。
>無事で何よりです。被災されたこと、これからのこと、お見舞い申し上げます。
ありがとうございます。
>ご無事で安心しました。自分も親戚が東北で連絡のつかない状態です。
ありがとうございます。連絡がつかないのは心配ですね。
とりあえず常磐道はかなり開通している様なので、なんとか連絡取れれば幸いです。
>義援金以外何もできない自分の無力に吐きそうです。ただ、できることはこれからも少しでもするつもりです。
義援金だけでもかなりありがたいと思われます。
ただ実際義援金が貰えるのかわかりませんが……。
ウチは東北ほど酷くなかったため、配給や支援物資などは一切貰っていませんでした。
>なおさんのブログがまた元気に(無気力に?w)更新されるのを楽しみにしています。
またダラダラと更新できればなぁ、と思ってます。
>千雨の世界、るいことめい毎回楽しみにしています。組織間の関係や時系列が分からないので大まかな説明があるとうれしいです。
ありがとうございます。
時系列ファイルがあるので、そのうちまた話の巻末に貼り付けようと思います。